本投稿は、2019年クラウドファンディング「47都道府県旅の終着、デニム兄弟がジーンズの街に拠点をつくる」との連動企画です。 えぶりシティに所属する市民(メンバー)がリレー式にブログを投稿、クラウドファンディング期間を盛り上げていきます。
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こんにちは、和代です。今回、兄弟・姉妹について考えてみたいと思います。近年、合計特殊出生率(女性1人が一生に産む子供数)は1.5人を下回っています。当然、一人っ子という方も多いと思います。私が生まれた頃はギリギリ2人あるかないか、私も2歳半離れた姉と2人姉妹です。

生まれた時から平均より大きかった私と、ごく平均だった姉。何歳くらいで背が追いついたでしょう。姉の小学校の入学式の写真に、明らかに1年生の平均身長を超えた私が、絣の着物を着て満面の笑みで写り込んでいました。

早くに体格が追いついたこともあり、姉を姉とも思わない可愛くない妹だったと思います。小さい頃はよく喧嘩をし、お互い三輪車にまたがったまま、髪の毛の引っ張り合いをしている「証拠写真」が残されています。

両親が共に早くに親を亡くしていたので、私達は生まれた時から「おじいちゃん、おばあちゃん」という存在を知りません。私が小学校1年生の夏、母が入院することになりました。1ヶ月くらいだったでしょうか。私達は夏休みの間、親戚の家に預かってもらうことになりました。父の従兄弟にあたる人で、私達と近い年齢の姉弟の子供がいる、教師夫婦の家でした。1年生の記憶なんてほとんどない中で、とても優しくしてもらったにもかかわらず、あの不安でいっぱいだった日々のことは何故か今も覚えています。ごちゃごちゃした街中に住んでいた私達が大自然に囲まれた(当時)大阪府豊能郡で過ごした夏休み。「お姉ちゃんが頼り」だった少し胸がキュンとする記憶です。

そんな姉と初めて2人で旅行に行ったのは、姉の結婚が決まった夏。それまで「居て当たり前」の存在だった姉がいなくなる・・・。そんなに仲が良かった訳ではないのに、義兄となる人に「姉をとられる」という感覚を持ちました。


姉は退職し、私は職場の夏休みを利用して8日間で東北4大祭りを巡るツアーを私が企画しました。1本逃せば1時間以上待たないといけない電車、親切に説明してくれるお婆さんの東北弁の訛りが強すぎて「まだ英語の方が分かるね」と笑い合ったり、安い宿で部屋の鍵がかからなかったり。たくさんの想い出をつくることができました。本当に、行って良かった。


姉の結婚から1年、可愛い甥っ子が生まれました。本当に可愛くて、姉の住む社宅にしょっちゅう通い、甥っ子の写真を持ち歩くほどでした。それまでの赤ちゃんというものを可愛いと思っていたのとは全く違う感覚、姉の産んだ子供だから持つ特別な感情に気づきました。

それから5年後、私も男の子を出産しました。初めての出産で戸惑うばかりの私、その退院と同時に実家にやってきた姉の働きっぷりっと言ったら、もうそれは拝みたくなるくらいのものでした。オムツの替え方から産着の着せ方、母乳の飲ませ方からレンタルオムツの契約まで。2人の母である姉は、私の想像をはるかに超えた「ベテラン母」になっていました。

仕事を続けた私は、子育てでもずいぶん助けてもらいました。そしてこれからは、年老いた両親の介護に共に力を合わせていく同志でもあります。


「偶然同じ親から生まれてきた」あまり似てもいない私達ですが、同じ環境で育ち、長い年月をかけて「全幅の信頼」を築いてきたんだと思います。万一今、何かの間違いで「血が繋がっていない」な~んて告げられたとしても「だから、私ら似てないんや」と笑い飛ばせると思います。

私達は運良く就職、結婚のタイミングで遠く離れることがなかったので、こうやって助け合っています(ほとんど助けてもらっているかな)。お互いの家族も含め、喜び合ったり心配しあったり。友達とは違う「自分と重なる部分」を持つ、配偶者ともまた違う関係、私にとって姉はそんな存在です。

私の親の世代のように、兄弟姉妹が5人、6人という家族は珍しくなっていると思います。たくさんいれば、気の合う兄弟、合わない姉妹があるのかもしれません。血が繋がっているからこその「妬み」というのもあるかもしれません。でも、子供の数が減っていく中で「唯一無二」である兄弟・姉妹が年を重ね、強い信頼関係を築いていければいいなぁ~と、私達を育ててくれた両親に感謝しながら、思う今日この頃です。

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ただいまクラウドファンディング「47都道府県旅の終着、デニム兄弟がジーンズの街に拠点をつくる」を実施中です。ぜひ一度サイトご覧ください!! https://readyfor.jp/projects/everydenim